スポーツパフォーマンス分析の世界の魅力を考える:連載『スポーツパフォーマンス分析への招待』2年を振り返って

この記事は「スポーツアナリティクス Advent Calendar 2021」の10日目の記事です。


みなさん初めまして、橘図書教材代表橘肇(たちばな はじめ)と申します。まずは自己紹介をいたします。

橘図書教材(2019.7設立)代表
“パフォーマンス分析テクノロジーの活用を通じて、スポーツと教育に貢献”

事業内容
教育用パフォーマンス分析ソフトウェア 輸入・販売
・フリーランス翻訳者(テクノロジー、一般文書)
・ライター(スポーツ医科学、スポーツ情報分析)
・大学非常勤講師・特別講師

職歴
・テレビ局 ディレクター(スポーツ、報道)6年
・トレーニング用品商社 営業 20年

2年前まで勤めていた会社では、スポーツパフォーマンス分析ソフトウェアの輸入・販売を2000年から担当していました。その頃のことを考えると、スポーツの情報分析が様々なメディアに注目され、スポーツアナリストという職種の価値が認められ、何よりこうしてたくさんの方が個性的な発信をする時代が来たこと、とても嬉しいです。

【おことわり】このアドベントカレンダーの趣旨からすると「スポーツアナリティクス」という用語を使うべきと思いますが、日頃「パフォーマンス分析」の領域で仕事をしていますので、この記事中では「パフォーマンス分析」で話をさせていただきます。どうかご了承ください。


2年前に個人事業に転じてからは、商品の販売を軸にしながら、並行してスポーツパフォーマンス分析に関する執筆や、大学講師などを行っています。営業・取材・教育という、3つの違う立場からパフォーマンス分析を見ていることが、自分の何よりの個性だと思っています。

そんなこともあって、この記事を「どの立場の目線」で書こうか迷ったのですが、おそらくこのカレンダーの中に取材者の方は少ないと思いますので、スポーツ医科学専門誌「月刊トレーニング・ジャーナル」(ブックハウス・エイチディ)で2年間続けてきた連載『スポーツパフォーマンス分析への招待』で取材・執筆してきたことを振り返りながら、この世界を俯瞰的に眺めてみることにします。

<内容>
・連載のきっかけ
・スポーツパフォーマンス分析とは何か
・スポーツパフォーマンス分析のデータ収集の方法とデータの種類
・教育・研究の中でのスポーツパフォーマンス分析

私が個人事業を始めた2019年の夏頃、「月刊トレーニング・ジャーナル」の浅野編集長より「スポーツパフォーマンス分析」に関する連載のお誘いをいただきました。またちょうど同じ頃、1冊の洋書の翻訳にも携わっていました。それが、スポーツパフォーマンス分析の研究で世界的に有名な、イギリスのカーディフ・メトロポリタン大学でレベル5(学部2年生)の教科書として使われている ”AN INTRODUCTION TO PERFORMANCE ANALYSIS OF SPORT”(翻訳書:「スポーツパフォーマンス分析入門」)でした。

翻訳書:「スポーツパフォーマンス分析入門」(大修館書店)

この書籍の第1章の見出しを見た時の衝撃は、今でも忘れられません。それまで分析ソフトウェアの販売に長年携わりながら、「スポーツパフォーマンス分析」について整理した考えを持たなかった私の目に、”SPORTS PERFORMANCE ANALYSIS: WHAT? WHY? WHO? WHERE? WHEN? AND HOW?” という見出しが強い力をもって飛び込んできたのです。同時に、彼の地の大学ではこうした専門書を使ってスポーツパフォーマンス分析の基礎を学ぶカリキュラムが整っているということに驚きを禁じえませんでした。

この書籍に書かれていることを、スポーツ医科学専門誌という媒体を通じてスポーツ医学、スポーツ科学に関心を持つ人たち、特に学生や、これから学ぼうとしている人たちに伝えたい、そんな思いで2020年1月号から連載をスタートしました。


連載の序盤では、スポーツパフォーマンス分析を「何」「なぜ」「誰が」「どこで」「いつ」「どのように」の視点で私なりに整理することを試みました。

私が分析ソフトウェアの販売に携わるようになった頃、商品の呼称は「デジタルビデオ分析ソフトウェア」だったのですが、そこから「ゲーム分析ソフトウェア」、そして「パフォーマンス分析ソフトウェア」と変遷していきました。「パフォーマンス分析」という言葉に関する最初の記憶は2003年頃のことです。この年に北アイルランドで開かれた「World Congress of Performance Analysis of Sport VI(第6回世界スポーツパフォーマンス分析学会大会)」に参加した日本の研究者の方に、この学会のことを教えていただきました。当時の私にとって、海外で既にこうした分野の学会が存在しているということは驚きでした。

また「パフォーマンス」という言葉が舞台芸術や音楽の分野からスポーツの分野でも使われるようになったということ、「記述的(ゲームパフォーマンス)分析」(Notational Analysis)のルーツが音符の記録法「記譜」(Notation)にあるということも、専門家の方への取材を通じて教えていただきました(2)。

「誰」では、分析を行う人の変遷を取り上げました。

一昔前、特に大学の運動部で情報分析担当を決める際、レギュラーか控え選手か、上級生か下級生かということは関係なく、まず「パソコンの操作が得意」「スコアやビデオを見るのが好き」な部員が中心的な役割を果たすように指名され、それを周囲の部員も手伝いながら分析を進めていく、というケースが少なくありませんでした。私の初めての顧客はある大学の野球部でしたが、テレビ(液晶ディスプレイやプロジェクターではありません)の画面にパソコンの画面を表示し、それを大勢の部員たちと見ながら朝まで寮に泊まり込んで対戦相手の投手の分析をしたことはいい思い出です(第4)。

その後、大学の運動部でも早い段階で自ら分析スタッフとなってチームに貢献することを選ぶ学生や、あるいは最初から分析スタッフを目指して入部する学生が出る時代になってきました。しかし一方では、チーム全員で分担して分析に取り組むというスタイルを取り入れるチームも増えていると聞きます。「誰が行うのか」と「誰のために行うのか」、2つの「誰」には今後も注目していきます。

「いつ」に関する最近の一番のトピックと言えば、リアルタイム分析の発達でしょう。2018年のFIFAワールドカップロシア大会において、各チームに対して専用の情報通信機器と通信ラインが配布され、それらを通じて試合中リアルタイムに選手とボールのトラッキング(軌跡)データとタクティカルカメラの俯瞰映像が提供され、試合中の戦術的な意思決定に用いることができるようになりました(第5回)。

かつて日本のサッカー関係者の方とリアルタイム分析の話をすると「ハーフタイムにビデオを見る余裕はない」という反応をされることが多かったのを思い起こすと、均衡した状況の中での「コーチの判断の支援」「選手の不安の除去」の重要性が浸透してきたのかなと感じます。この「時間的なサイクル」の話をさらに押し進めれば、試合前、試合中、試合後の準備とフィードバックのサイクルのスピード化、もっと広げれば映像やデータ分析を活用する年代の早期化というテーマにも広がります。


スポーツパフォーマンス分析ソフトウェアの営業に関わるようになった頃、まずセールストークとして強調したのは「ビデオと数字で示せば客観的ですし、説得力がありますよ」ということでした。当時の私はビデオをコーディングすることによって得たデータを集計し、それを数値で示す「量的分析」の客観性に何の疑いも持っていませんでした。

その考えが大きく揺さぶられたのは、”AN INTRODUCTION TO PERFOEMANCE ANALYSIS OF SPORT”で、「質的データの量的分析」という言葉を知った時でした。審判の判断による「判定がアナリストから独立したイベント」を除けば、手作業によるものにせよコンピュータ化されたものにせよ、データ収集の時点で「主観的な判断」が含まれていることが少なくありません。考えてみれば当たり前のことですが、最終的に数字やグラフで示されているからといって、それを盲目的に信じることにはリスクが伴います。

現場で活躍しているアナリストの方、研究に携わっている方からも、このことへの細心の注意に関する言葉が聞かれました。

一方で、抽象化しすぎると、そのプレーの持つ意味が見えなくなってきます。だからそこにビデオを見ての主観的な分析を併せるわけですね。その塩梅が難しいわけです。」(第1、大学ラグビー元監督)。

1つ、2つの数字でその選手の今後のキャリアや活動が影響を受ける可能性があるとしたら、それをチェックするためにはやはり映像がついていないといけないと思うんです。」(3、現役ラグビーアナリスト)

私自身も後年、ある競技のアナリストを勤めた時にこの課題に向き合うことになりました(第7回)。私の判断で入力したデータをもとにチームが戦術を立て、試合に向けての準備を進めると考えると、一つ一つのボタンをクリックする手が止まってしまい、何度も同じシーンのビデオを見返しては堂々巡りをするという経験をしました。こうしたことを現場で活躍しているアナリストの方も感じるのか、またそれをどう克服しているのか、知りたいところです。

様々なテクノロジーの発達により、「自動的に収集されるデータ」の領域が次第に広がってきています。特に「ワークレート分析」であるトラッキングの分野や、野球で言えば打球速度や投球の速度、回転数といったデータでは自動化が進んでいます。一方では、特に球技のゲームパフォーマンス分析における自動化は、私たちが考えるほどには進んでいないようです。国内大手メーカーへの取材の中では、やはり技術的な難しさ、またマネタイズに関する課題が聞かれました(第6)。


スポーツパフォーマンス分析の重要性がさらに認められ、現場の中で普及し、それに関わる人が増えていくための一つの条件として、教育、研究の分野での取り組みが重要だと考え、この連載では多くの大学教員の方に取材を行ってきました。インタビューの言葉から共通して伝わってきたのは、分析ソフトウェアの操作やテクニックではなく、「考え方」を身につけてもらいたいという願いでした。いくつか引用をさせていただきます。

「実際に行なわれている試合に数量的にアプローチする上では、ゲームパフォーマンス分析は一番適した手法です。けれども観察者の視点で外からゲームを見ているだけではコーチングは成立しません。もう1つ、行為者として、監督としてどういう采配をしているのか、選手としてどういう意識を持ってやろうとしているのかということも明らかにしなくてはいけません。」(11

「例えばファーストサービスが70パーセント入るという同じ数字を、良いと見るか悪いと見るかというのが指導者の役割で、その基準は対象の選手によっても違うだろうし、試合の位置付けによっても違ってきます。これはある意味、本当に質的な分析じゃないでしょうか。それができることが指導者としては大事だと、授業などでは強調して言っています。質的分析を磨くことが大事なんだよと。」(第11回

またスポーツ情報分析を学んだ学生の進路についても、私たちが心得ておくべきと感じる指摘があります。

スポーツの情報分析や情報戦略を学んだ学生は、スポーツチームのアナリストに限らず、幅広い分野や職種で活躍できる可能性がある」(10

こうした状況の中、私が希望を感じる動向が、アナリスト出身者の大学教員への転身です。今年の第19回20では、アナリスト出身の大学教員3名の座談会形式でのインタビューという、以前ではなかなか考えられなかった企画を行うことができました。

私自身がこれまで仕事を通じて多くのスポーツアナリストと交流してきた中で、「こうした人たちの知識や経験は、学生への教育の中でこそ活きるのでは」と感じてきました。欧米に比べて「プロのスポーツアナリスト」という職業がまだ十分に確立されているとは言えない日本では、アナリストのセカンドキャリアをどのように描き、次の世代の人たちに示していくのかということも、今後の課題の1つと言えるでしょう。その活躍の場として、教員という進路はアナリスト、学生、そして大学の3者それぞれにとって大きな意味のある選択肢ではないかという気がします。


24回の連載を振り返ってみるつもりが、一部だけですっかり長文となってしまいました。最後までお読みくださった方には心から感謝申し上げます。残りの回のまとめについては、いずれまたこのブログ内で書くつもりです。

引き続き、「月刊トレーニング・ジャーナル」誌ではスポーツパフォーマンス分析についての連載を続けていきます。もっと視野を広げ、今後もこの世界の魅力を伝えるための取材をしたいと思っています。この記事をお読みくださった皆さんや、今回、このアドベントカレンダーに執筆なさっている皆さんにも、ぜひ、ご協力いただけますと幸いに思います。

※ 文中の引用箇所につきましては、文量の関係上、該当する連載回を示すに留めております。

(橘 肇/橘図書教材)