【コラム】公園の片隅の石碑

6月の帰省(橘図書教材的に言うと「本社出張」)の際も、時間を見つけて石手川沿いの公園を歩きました。

ここを歩くときに思い浮かべるのことの1つが、小さい頃に父親から聞いた話です。

1945年の松山大空襲の際、この川を境に北側の市街地が大きな被害を受け、南側は焼け残ったのだそうです。

資料によると、被災面積4.79㎢(全市面積87.81㎢、被災比率5.4%)、被災戸数1万4,300戸(全市戸数2万6,000戸、被災比率55%)、被災人口6万2,200人(全市人口11万7,400人、被災比率53%)に及び、死者251人(男117人、女134人)、行方不明8人、負傷者は数えきれないほどの被害だったと記されています。1)

戦時中の生活がどうだったのかは、どうにも自分の想像の及ぶものではありませんが、それでも、この川のそばをこうして歩いていられる時代にいることを実感することはできます。

昔から幾度通ったかわからない道ですが、今でも新しく気づくことがあります。

伊予鉄道石手川公園駅の西側、木立の陰の石碑が気になって近づいてみると、

愛媛県の原爆死没者の慰霊碑でした。公園の隅にひっそりと、しかし記された文字は最近作られたもののように、くっきりと迫ってきます。

もしかしたら過去にこの碑のことを聞いたことがあったのかもしれませんが、自分の記憶にはありませんでした。調べてみると、建立されたのは1974年、7月31日に慰霊祭が行われていたそうです。2)

今年も8月6日、そして私の誕生日でもある8月9日がやってきます。

参考資料
1) 総務省ウェブサイト「松山市における戦災の状況(愛媛県)」
2) 愛媛新聞「核廃絶へ思い新たに 松山で原爆死没者慰霊祭」(2022年8月2日)

(橘 肇/橘図書教材)