翻訳者の仕事には大きく言って、原文から訳文を作る「翻訳」と、他の翻訳者の方が翻訳した訳文をチェックする「チェッカー」の2つがあります。どちらの仕事かはその時次第ですが、私の場合、翻訳は和訳、チェッカーは和訳もあれば、英訳のときもあります。
いずれにせよ、最初は「チェッカーはでき上がっている訳文の間違い探しや校正だから、一からの翻訳よりもずっと楽だろう。」と思っていました。
ところがさにあらず。人の訳文に対して、責任を持って「根拠のある校正」をしようとしたら、結局、一から訳するくらいで原文と照合しないとなりません。「ただ何となく」の修正では、最初に訳文を作った翻訳者の方にもその先のクライアント様にも失礼ですし、第一、仕事ですらありません。
ただ和文、英文に関わらず、自分の文章のスタイルには「癖」があって、そこに何となく(ほんとに「何となく」ですが)合わない箇所は、自分の心地いいように修正したくなるという傾向があるのだというのも、この仕事で見えたことです。自分のことは意外にわからないものです。
そんなことをしているうち、昨年パートタイムでアナリストをさせていただいた時のことを思い出しました(詳しくは「月刊トレーニング・ジャーナル」の連載、5月号、7月号あたりを読んでくださると嬉しいです)。
分析ソフトでのデータの入力作業が、今やっている翻訳チェッカーの作業と共通しているなと思ったのは、こんな点です。
自分の「癖」を理解して、それをできるだけ排除する。
私の場合、バックネット裏のスタンドから見ていると、キャッチャーがボールを捕球した位置を、実際の高さよりも「高めに」記録する傾向があります。そこで時にはビデオで全球見直したり、バッターの膝やキャッチャーの捕球姿勢などを頼りに、そんな自分の視点を修正(自分で「キャリブレーション」と呼んでいました)を行うようにしていました。
文法的に「どちらでも間違いではない」と言えるような場合でも、自分の「何となく」の感じに従ってしまうのではなく、「どちらが最善か」を探す努力をする必要があると思います。
判断基準を最初から最後まで一貫する。
試合の最初と最後で、もっと長いスパンだとシーズンの最初と最後で、判断の基準が変わってしまっては信頼できるデータになりません。正直、球種の判断はずっと不安だらけでしたが、これはコーチのかたの話を聞きつつ、一貫性を保つように注意していました。
これは「同じ単語は常に同じ言葉に訳す」ということでしょうか。完全な間違いになることは少ないですが、気をつけていないと似た意味の別の言葉に変わっていることはあり得ます。そこにも、「根拠のある使い分け」かどうかのチェックが必要だと思います。
こうした点、現場のアナリストのかた、また翻訳を仕事にしている人と話をしてみたいものです。そんなことを考えていると、すべての仕事が繋がっている感じがしてきます。
(橘 肇/橘図書教材)